寺社・名所旧跡(市内東部)

 

ページ番号1000590  更新日 令和5年3月1日 印刷 

足守神社(あしがみじんじゃ)

写真1:足守神社

約900年の歴史をもつ「足の神様」で知られる神社。地元では「あしがみさん」の名で親しまれています。スポーツ選手などの尊信を集め、境内には、願いを込めたわらじが数多く奉納されています。
崇徳天皇の時代、高野山の高僧で根来寺(ねごろでら)を開創した覚鑁(かくばん)上人がこの地に灌漑用水がなく苦しんでいた農民たちを見て、人々を救いたいと、貴志と山東の境に大池(現在の大池遊園)を作ることを決意。人々を率い、励まし、時には寒暑も厭わず自らも労役に服し、工事を進めましたが、予想以上の難工事であったため作業員や牛馬の足を痛める者が続出しました。
そこで上人はこれを憂い、京都愛宕山足千現大明神を勧請し、石室に奉安して足守大明神として尊崇、足病の者のために祈念すると、ことごとく治癒したと伝えられています。
その後、根来にて大法城を定めた覚鑁上人が社殿を建立して観音寺と号しました。これが足守観音寺の起源と伝えられています。
毎年7月第一日曜日は大祭で、健脚のご祈祷、古いお守りやお札のご供養、覚鑁上人がお告げによりはじめた「灸すえ」(灸治療)などが行われます。

  • 住所:和歌山市木枕343
  • お問合せ:073-478-2635
  • アクセス:和歌山電鐵貴志川線 山東駅下車 徒歩約10分

写真2:足守神社

写真3:足守神社

写真4:足守神社

伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)

写真1:伊太祁曽神社

写真2:伊太祁曽神社


伊太祁曽神社についての具体的な年号の初見は「続日本紀」の文武天皇大宝2年(702)です。伊太祁曽神社にお祀りされている神様は、『日本書紀』に木の神として登場する五十猛命(いたけるのみこと)です。日本の国中に木種をまき、緑豊な国土を形成した神様で、最後に現在の和歌山県(紀の国・木の国)にお鎮まりになりました。
かつては、日前神宮・國懸神宮(日前宮)の社地にお祀りされていましたが、日前宮の鎮座とともに山東に遷り、大宝2年の官命によって社殿の造営がはじめられ、約10年後の和銅6年(713)に現在の地に鎮座したといわれています。
境内には、樹齢千年ともいわれ昭和37年の落雷で枯れた「御神木の大杉」があるほか『古事記』の神話「木俣くぐり」が実体験できる木が置かれており、多くの参拝客が「厄難除」のために木俣をくぐります。

  • 主な祭事

「卯杖祭(うづえまつり)」(粥占いの神事):1月14~15日 米と餅、小豆で粥を炊き、長さ一尺程の竹を束ねてその中に沈め、祈願の後に引き上げ、竹筒の中の粥米の入り具合でお米と農作物の豊作を占います。竹筒17本でお米の品種17種で占っていたので、今も17品種にしている。14日の夜に占いをして15日の早朝に割って中を見て結果が出る。
「木祭り」:4月第1日曜日 日頃の木々の恩恵に感謝する祭典。全国の木材関係者。チェンソー・カービングの実演奉納、地元産品朝堀り筍やイチゴ等の販売、植木市、木製品の展示即売会等が開催されます。毎年この祭典の頃が境内の桜の見頃です。
「茅輪祭(わくぐり)」:7月30~31日 大祓の祭事。茅萱(ちがや)で編んだ輪をくぐることで罪・穢が祓われるといわれています。
「例祭」:10月15日 稲の収穫を祝う祭典。本殿の神事の後、神輿渡御・稚児行列が行われます。

  • 住所:和歌山市伊太祈曽558
  • お問い合せ:073-478-0006

写真3:伊太祁曽神社

写真4:伊太祁曽神社

写真5:伊太祁曽神社

竈山神社(かまやまじんじゃ)

[徳川ゆかりの地]

写真1:竈山神社

写真2:竈山神社


御祭神の彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)は、第一代神武天皇の兄君で、大和平定の途中戦傷、雄水門(おのみなと)で亡くなられ竈山の地に葬られました。今の社地はその遺跡で、約千年前の法律である延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡 竈山神社」と記され、古くから官幣に与る皇室御崇敬の大社でした。
天正13年(1585)、羽柴(豊臣)秀吉の根来攻めの時の兵禍により、社地社領を没収され、社殿をはじめ宝物・古文書など一切を失いましたが、寛文9年(1669)和歌山城主徳川頼宣が再建、歴代の尊崇を捧げました。
明治18年、官幣中社に列せられ、大正4年、官幣大社に昇格、昭和13年には国費及び崇敬者の献資を以って社殿を造営し、境内を拡張して現在に至っています。
例大祭は10月13日に斎行。

  • 住所:和歌山市和田438番地
  • お問い合せ:073-471-1457
  • アクセス:和歌山電鐵貴志川線 竈山駅下車 徒歩約10分

武内宿禰誕生之井(たけうちのすくねたんじょうのい)

[徳川ゆかりの地]

写真1:武内宿禰誕生之井

安原八幡神社の奥宮、武内神社境内の長寿殿という建物の中にある産湯を汲んだとされる井戸。古より武内宿禰が長寿で有名なことから、今では長寿の水として親しまれています。
武内宿禰は、『古事記』によると、第8代孝元天皇の皇子である比古布都押之信命と紀伊国の日前宮を祀る紀伊国造第6代宇治彦の娘・山下影日売との間に生まれたとされます。また、『日本書紀』では、第12代景行天皇が皇族の屋主忍男武雄心命を紀伊国に派遣した際、命と紀直の娘・影媛との間に生まれたとされます。
武内宿禰は、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代天皇に棟梁之臣・大臣として仕え、特に神功皇后の朝鮮半島遠征を補佐したと伝えられています。また、紀・巨勢・平群・葛城・蘇我氏など中央諸豪族の祖と言われる伝説的な人物です。約3世紀にわたり歴代天皇に仕えるほどの長命を保ち、国家に忠誠を尽くし、子孫繁栄をもたらしたという点で古くから理想的な人物として称えられてきました。事跡にあやかり紀州徳川家に子女が産まれた時は、この井戸の水を産湯に使ったといわれています。戦前発行の紙幣にも武内宿禰の肖像画が描かれていました。

  • 住所:和歌山市松原91番地
  • お問い合せ:073-479-3140または073-479-0160

写真2:武内宿禰誕生之井

写真3:武内宿禰誕生之井

和歌山市在住の青木三郎様から看板板面の誤りをご指摘いただき、令和4年度に訂正のうえ板面を更新しました。

※旧看板及び本ホームページ内で、『古事記』によると、武内宿禰が第八第孝元天皇の子どもである旨を記載しておりましたが、正しくは孝元天皇の皇子である比古布都押之信命の子どもとなります。

写真4:武内宿禰誕生之井

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)

写真1:日前神宮・國懸神宮

創建は神武天皇二年(約2600年前)と日本でも最も古い神社の一つで、神話との関わりが深い紀伊国一之宮。旧官幣大社で、同一境内に二社が並んで建てられ、総称して日前宮(にちぜんぐう)と呼ばれます。ともに天照大神(あまてらすおおみかみ)を前御霊としており、日前神宮の御神体は日像鏡(ひがたのかがみ)、國懸神宮の御神体は日矛鏡(ひぼこのかがみ)で、三種の神器の一つ八咫鏡とともにつくったものといわれ、『日本書記』にも記述されています。
毎年、7月26日夕刻から開催される「日前宮薪能」は、紀州の夏の風物詩として定着しつつある「神事能」です。薪を組んだかがりに忌み火を灯し、幽玄な空間の下、宵闇に繰り広げられる「静」と「動」のクライマックスは観衆を魅了し、神人一体の世界へといざなってくれます。例大祭は、毎年9月26日に斎行されます。

 

 

 

  • 住所:和歌山市秋月365
  • お問い合せ:073-471-3730

写真2:日前神宮・國懸神宮

写真3:日前神宮・國懸神宮

写真:日前宮薪能

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産業交流局 観光国際部 観光課
〒640-8511和歌山市七番丁23番地
電話:073-435-1234 ファクス:073-435-1263
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