寺社・名所旧跡(加太周辺)

 

ページ番号1000591  更新日 令和2年9月7日 印刷 

淡嶋神社(あわしまじんじゃ)

[徳川ゆかりの地]

写真1:加太春日神社

写真1:雛流し


毎年3月3日、全国から奉納された内裏雛を白木の小舟に乗せて海に流す神事「雛流し」が行われる淡嶋神社。境内には、奉納された様々な人形がぎっしりと並んでいます。薬の神様とされる少彦名命(すくなひこなのみこと)を祭神とし、婦人病や安産・子授け祈願など「女性のための神様」として昔から信仰されています。
『日本書記』に記されている「三韓征伐」の帰途、瀬戸の海上で突然の嵐に遭遇した神功皇后が船中で祈りを捧げたところ無事にある島(友ヶ島)に辿り着き命拾いをし、三韓渡来の宝物を島に奉納しました。数年後、孫である仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られた際、島にあった社を対岸の加太に移したものが現在の淡嶋神社といわれています。
江戸時代には、紀州徳川家姫君誕生の初節句に一対の人形を淡嶋神社に奉納する習慣や10代藩主治宝が造った雛蔵に、姫や腰元が遊んだ道具が代々納められるなど紀州徳川家ゆかりの神社でもあります。
また、淡嶋神社が鎮座する加太は、万葉集にも詠まれた景勝地。当時、加太は大和を出発点とする南海道の終着点であり、また淡路島、四国方面への出発点で、交通の要衝として栄えていました。海がない大和の国の人の、海に対する感想と憧れが詠われた万葉歌が残されています。
「藻刈り舟 沖漕ぎ来らし 妹が島 形見の浦に 鶴翔ける見ゆ」
作者不詳 万葉集1199番
(訳)藻を刈る舟が沖を漕いでいるらしい。妹が島の形見の浦に鶴が飛んでいるのが見える。(注)妹が島は友ヶ島、形見の浦は加太の海岸といわれています。

  • 住所:和歌山市加太
  • お問い合せ:073-459-0043

写真2:淡嶋神社

写真2:雛流し

写真3:雛流し

写真4:雛流し


写真5:雛流し

写真6:雛流し

加太春日神社(かだかすがじんじゃ)

写真3:淡嶋神社

写真2:加太春日神社


国指定の重要文化財である本殿は、慶長元年(1596)に豊臣(羽柴)秀吉の弟・秀長の家臣である桑山重晴が建立したことが棟札に記された「桑山修理亮正榮」によって知られています。
御社殿の形式は、「一間社流造、正面千鳥破風及び軒唐破風付き、檜皮葺」で、構造だけでなく雄大で豪壮な彫刻が施され、桃山時代の特徴がよく表れており、京都の大徳寺唐門(国宝)などとともに桃山建築の傑作に数えられるものです。蟇股の彫刻には、龍、虎、唐獅子などの他に加太の地域性を示した「海老」や「貝」など海の恵みも題材にされていることは珍しく、多彩な題材が実に生き生きと表現されています。現在は、素木(しらき)造りのように木の肌がそのまま見える本殿は、かつて華麗な極彩色で彩られていましたが、明治初年の神仏分離の際にすべて洗い落とされてしまいました。色鮮やかに彩色されていた当時の本殿を想像してみると、その絢爛豪華な姿に心が躍ります。
例大祭(神事)は、毎年5月20日に行われ、「えび祭り」の名で親しまれている例大祭渡御祭は5月の第3土曜日に行われます。古くは旧暦の4月20日に行われ、この日からえび漁が解禁されたと言われています。本殿の蟇股の飾りに「伊勢えび」の彫刻がされているように、この地ではかつて伊勢えびが多く獲れ、祭りの当日お供えに使われたり、宴席に用いられたりしたため「えび祭り」と呼ばれるようになったと伝えられています。
「えび祭り」の神輿渡御は、宝太鼓を先頭に天狗、子供神輿、鬼舞、獅子舞、長刀振り、稚児行列などが続き、出御から還御まで約8時間かけて各々の催し物を沿道や御旅所で披露しながら加太の町を巡幸します。行列の中でも加太の獅子舞は歴史が古く、慶長2年(1597)に獅子頭2頭が奉納されたという記録があります。現在加太の獅子舞には、男獅子と女獅子の2種類あり、男獅子は「高場」と呼ばれる約3メートルの2本の丸太の上で舞う勇壮なもので、女獅子は高場を使わず笛の音に合わせて蝶や花に戯れる優しい舞を披露します。
加太地区は漁家が多いゆえ、信仰心が篤く神様を慰めると共に、悪を祓い身を浄めようとする心が強く、例大祭の渡御に供奉する獅子舞などは、古くから重要な役割を果たしています。

  • 住所:和歌山市加太1343
  • お問い合せ:073-459-0368

写真3:加太春日神社

写真3:加太春日神社

写真4:加太春日神社

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