寺社・名所旧跡(市内中心部)
恵運寺(えうんじ)
[徳川ゆかりの地]
紀州藩初代藩主徳川頼宣が紀州に入封した際、家臣で参州室(牟呂)城城主であった山本図書正春も随従しました。正春は、顕祖と武功の誉れ高き長昌公のために禅寺一宇を建立し、長昌院と号しました。正春がかねてより帰依していた天厳玄達大和尚も頼宣公の命により入紀し開山者となりました。後に天子様の宝祚の長久、頼宣公の広厳無窮と天下泰平長昌を祈念するため寺号を広厳寺とし、長昌院広厳禅寺、さらに寛政元年(1789)恵運寺と改名し現在に至っています。
平成24年には、日本三大忍術伝書の一つ『正忍記(しょうにんき)』を記した紀州藩の軍学者・名取三十郎正澄(なとりさんじゅうろうまさずみ)(1708没)の墓石が同寺で見つかり、翌年「紀州忍者の墓石発見」と大きな話題になりました。
海外では、伊賀の服部半蔵と並び忍者の代名詞とされる名取三十郎正澄は、甲州武田家に仕えた祖父、名取與市之丞正俊を流祖とする軍学流派「名取流」中興の祖。藩主徳川頼宣公の軍学指南役として仕えました。
『正忍記』は『萬川集海』『忍秘伝』に並ぶ三大忍術伝書として名高く、日本でも多くの研究書が出されている他、英語やドイツ語、フランス語などに翻訳され、世界中で愛読されているようです。今回の墓石発見も、『正忍記』の英語版翻訳者の指摘で同寺が調べ判明したそうです。
- 住所:和歌山市吹上3丁目1番66号
- お問い合わせ:073-424-7633
海善寺(かいぜんじ)
[徳川ゆかりの地]
豊臣秀吉の文禄の役(1592)で捕えられ大阪に連行された朝鮮の儒学者で、後に紀州徳川初代藩主頼宣に認められ儒学を教える侍講として登用された李真栄とその子・李梅渓の墓「李梅渓父子墓所」が、海善寺山門から道を隔てた東墓地にあります。李梅渓は、梅原村(現和歌山市梅原)を与えられ、この地名から「梅渓」と称したといわれています。
古くから修験道の行場として知られる友ヶ島にある一島、虎島の絶壁斜面に刻まれた大きな碑文「五所の額」は、頼宣の命により藩の儒学者である李梅渓が刻んだものです。「禁殺生穢悪・友島五所・観念窟・序品窟・閼伽井・深蛇池・剣池・寛文己酉離雕」と、友ヶ島の5つの行場が刻まれており、友ヶ島に渡る定期船からも見ることができます。
同寺本堂前には、「父母状(ふぼじょう)」を記した「李梅渓公顕彰記念之碑」が建てられています。父母状とは、頼宣が藩の儒学者・李梅溪に命じて作成し、領内に配布した触れ状のことです。
「父母に孝行に 法度を守り へりくたり 奢らすして 面々家識を勤 正直を本とすること 誰も存たる事なれと、弥能相心得候様に、常々可申聞者也」
訳すと、「孝行して法を守り、質素にして家業に勤め、正直に暮らすことは誰でも知っているが、常々このことを教え諭さなくてはいけない」
親孝行の大切さや、法律を守ること、正直を第一として家業に専念することなどが書かれています。父母状の碑は、同寺のほかに岡公園やあおい茶寮の前にも建てられています。
- 住所:和歌山市道場町1-1
- お問い合わせ:073-422-2850
刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)
[徳川ゆかりの地]
通称「岡の宮」。古くは豊臣秀吉の時代から歴代藩主に本城鎮護の神として崇拝されてきた神社で、8代将軍吉宗公「拾い親」の神社として有名です。
当時、厄年に生まれた子どもは、捨て子にすれば丈夫に育つという風習があり、((注)親が大厄の時に生むと、その厄が子どもに移るとされていた。)吉宗も誕生と同時に、和歌山城の南西隅にある扇の芝(和歌山城追廻門周辺)に捨てられました。この時、刺田比古神社の宮司・岡本長諄氏が箕(みの)と箒(ほうき)で拾ってきたことから拾い親とされています。脱穀などで不要な物を取り除く農具である箕が使われたのは、不要なもの(=厄)を除き、いいものだけが残るようにという意味が込められているからだそうです。津本陽氏の長篇小説『南海の龍 若き日の徳川八代将軍吉宗』(中公文庫)でも描かれています。
吉宗が刺田比古神社の宮司に拾われたことで厄をはらい、その後強運を得て、異例の出世をしたことから、刺田比古神社は、「出世・開運・厄除け」の神社とされています。また、祭神・大伴氏の祖先の道臣命が神武天皇の道案内をされたことから、交通安全祈願神社と言われています。
吉宗は、自分を拾った当神社に感謝し、産土神(うぶすなかみ)として崇敬し、紀州藩主になってから神田を寄進、将軍になってから二百石の朱印地、黄金装飾の太刀(国宝)、そして神馬一頭を献じ、永く国家安泰の祈願社としました。
- 住所:和歌山市片岡町2丁目-9
- お問い合わせ:073-422-6576
徳川吉宗生誕の地
[徳川ゆかりの地]
報恩寺から北へ約50メートルのところ、寺町の民家の脇に8代将軍・徳川吉宗生誕地の碑が立っています。
吉宗は、貞享元年(1684)、城下吹上邸で二代藩主・徳川光貞の四男として生まれました。幼名「源六」、「新之助」。元服して「頼方」と名乗り、元禄10年(1697)五代将軍綱吉より越前(福井県)丹生の藩主の位を与えられました。宝永2年(1705)第5代紀州藩主となり、名を「吉宗」と改めました。享保元年(1716)第8代将軍となり、享保の改革、新田開発等を推進しました。幕府支配体制の強化を図り、「徳川中興の英主」といわれます。
- 住所:和歌山市吹上2丁目4-15
報恩寺(ほうおんじ)
[徳川ゆかりの地]
報恩寺は2代藩主徳川光貞が、母である瑤林院(徳川頼宣正室・加藤清正の息女)の追福のため菩提所であった要行寺を改めて、造営した寺院です。
慶長6年(1601)加藤清正の娘として生まれた瑤林院は、頼宣とともに紀州に入り、寛永10年(1633)に江戸の紀州藩邸に移るまで14年間和歌山城で暮らしました。寛文6年(1666)に瑤林院が66歳で亡くなると、同年頼宣は和歌山市の要行寺に葬りました。その後、寛文10年(1670)に第2代光貞は母の追福のため諸堂を建立し、日順上人を開祖として寺号を現在の報恩寺と改め、報恩寺は歴代藩主の夫人・姫ら一族、藩士の菩提を弔う役割を果たしました。
境内の石段を登ると、立派な石畳の先に「徳川家御廟」がひっそりと佇んでおり、確かに紀州徳川家の格式が感じられます。左から、初代頼宣の正室・瑤林院、第2代光貞の正室・天真院、そして第5代吉宗の正室・寛徳院の墓と続き、一族藩士の霊が祀られています。
江戸時代初期の典型的な作風である本寺の梵鐘や瑤林院の墓は和歌山市指定文化財になっています。なお、頼宣の墓は海南市の長保寺にあります。
- 住所:和歌山市吹上1丁目6-38
- お問い合わせ:073-422-9446
無量光寺(むりょうこうじ)
[徳川ゆかりの地]
文政11年、10第藩主徳川治宝の時代に、徳本上人を開基として創建されました。
寺格として最高位を表す5本の白い横筋が入った築地塀、そして、「禁葷酒肉」、「禁殺生」と刻まれた石碑が建つ山門をくぐると、高さ約3メートルの首だけの大仏があります。地元では、首大仏(くびだいぶつ)の名で親しまれ、「首から上のことなら何でもご利益がある」とされ、受験シーズンが近づくと多くの受験生が参拝します。
首大仏ができたきっかけは、江戸時代の半ば、和歌山城下の武家屋敷に仕えていた青年が主人を送り出そうと主人の草履を揃えようとした際、主人の草履の上に自分の数珠を落とすという「不吉」な無礼を働いたことから始まります。青年は、無礼者と主人から叱られ、自分の部屋以外で数珠を持つことと念佛を唱えることを禁じられました。幼い頃から佛心を持ったこの青年は、3日間一睡もせず考え悩み、主人の許しを得て、武家奉公の一切を断ち、御佛に仕えることを決意します。
青年は、生まれ故郷・大橋村(現日高郡みなべ町)の菩提寺萬福寺で剃髪出家の儀式を受け、京都の本山に登嶺、3年間の修行にて浄土宗の僧侶となり蓮心と名乗りました。2年後和歌山に帰り着き、名草郡納定にあった破れ傾いた辻堂(後に大福寺と称す。跡地に宮北小学校が建つ。)で足を止め、修復し、怠らぬ念佛三昧に励んでいたところ、ロウソクの火が揺らめき、壇上の御佛が異様に輝き出し、一丈六尺(約4.85メートル)に及ぶ佛様がパッと目の前に現れました。その不思議な現象を村人に語ると、蓮心和尚のためならと村人たちの衆力により露座唐金の丈六佛が建立され、丈六堂と名付けられました。以後、蓮心に教えを請う者が後を絶たなかったといわれています。
蓮心滅後、66年後に丈六堂が火災にあい、丈六の大佛が溶けてしまい悲嘆にくれた村人が丈六堂の再興を発願したものの、徳川末期の世態でかなわず、焼け跡を無量光寺の末寺に加え大福寺として復興されることとなりました。第2代は鎌倉の大仏様を目標にと、初代大仏のとけた銅を利用して、まず昆盧遮那佛のお首だけを溶銅で鋳造しました。その後お首に佛体を継ぐことを何度も企てられましたが世勢の騒憂にかなわず、さらに納定の大福寺の伽藍も安政元年の大地震で全部壊滅し、時世とともに寺の維持も困難となり、結局佛体が作られることはありませんでした。
大福寺が吹上の無量光寺へ合併されることになった際、惜しむ村人を横目に首大仏はコロに載せ運び出されました。もう一息で納定の地を離れるというところで、コロが燃え出し、首大仏は、納定の方向を振り返りみるように傾き、惜しむ村人の方を見つめたという不思議な出来事が起こり、一度目の運搬は中止されました。
その後、再び修復されたお堂も暴風雨で大破し、明治41年(1908)廃寺。首大仏は、本寺である吹上の無量光寺に安置されるようになり、現在に至ります。
- 住所:和歌山市吹上5丁目1-35
- お問い合わせ:073-423-5738
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