和歌山市の和歌浦を擬人化した「和歌浦 和歌子(わかのうら わかこ)」

 

ページ番号1065445  更新日 令和7年6月20日 印刷 

わかのうら わかこ 画像

制作背景など

ネーミングは、和歌山市の風光明媚な「和歌の浦」から。

潮の満ち引きによって干潟が現れては消え、刻一刻と変化しながら、四季折々の多彩な風景を魅せる和歌の浦。

神亀元年(724年)、この地を訪れた聖武天皇が、玉のように島々が連なるこの地の美しさに感動し、この風景を末永く守るように詔を発しました。

行幸に従った万葉歌人の山部赤人が、和歌の浦の情景を讃え詠んだ躍動感にあふれる歌は、今も広く知られています。

若の浦に 潮満ち来れば 潟(かた)をなみ 葦辺(あしべ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
【現代語訳】若の浦に潮が満ちてくると、干潟が無くなるので、葦の生えている岸辺に向かって、鶴が鳴きながら飛んで行くことよ

以降、山部赤人のこの歌が「古今和歌集」の「仮名序」で歌枕として取り上げられたことで、歌人の憧れの地となり多くの和歌に詠われ、「和歌の聖地」として多くの人々を魅了してきました。

1585年に紀州を平定した羽柴(豊臣)秀吉も、古代以来の景勝地である和歌の浦を遊覧して玉津島神社を参詣し、歌を詠みました。

打出て 玉津島より なかむれは みとり立そふ 布引の松

「和歌山」という地名も、この時に秀吉が「和歌の浦」にちなんで名付けたと言われます。

また、松尾芭蕉や、夏目漱石といった文化人もこの地を訪れました。

このように、和歌と歴史的にも非常に関わりが深かった和歌の浦は、まるで「和歌」によって大切に護られてきたように思います。

和歌浦 和歌子 は、そのような歴史から、"歌の力で土地を守護する"というイメージのもと描きました。

和歌浦の干潟

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