砲台跡

 

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由良要塞「友ヶ島」

友ヶ島は、黒船来航の頃から大阪湾を守る要衝とされ、紀州藩は幕命により友ヶ島奉行を置きました。明治時代になるとさらにその重要性が高まり旧陸軍により由良要塞の要所として大規模に整備されました。大きな大砲を島内のあちこちに備え、約600人の兵隊が駐屯する要塞となり、第2次世界大戦が終わるまで一般人の立ち入りができませんでした。

友ヶ島砲台群の役割

砲台には敵艦隊との長時間にわたる砲戦継続を目的とした「砲戦砲台」と、狭い海峡部などを通過する敵艦を待ち伏せて射撃することを目的とした「要撃砲台」などがありますが、友ヶ島では第3・第4砲台が「砲戦砲台」、それ以外の砲台が「要撃砲台」となっています。

砲戦砲台は山地に築かれることが多く、砲台に付随して造られる「観測所」の指示による間接照準によって、榴弾砲(放物線状の湾曲した弾道)を放ち、敵艦を頭上から攻撃します。一方、要撃砲台は敵艦を横から攻撃する目的で、カノン砲(水平に近い弾道)を備砲し、砲身及び射程距離が長いことが特徴となっています。

各砲台跡の紹介

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