歴史・背景をみる

 

ページ番号1018651  更新日 平成30年3月13日 印刷 

戦前から注目された「南海の工都」

繊維機械の白黒画像

本市は戦前から「南海の工都」と呼ばれ、繊維工業や木工業など伝統的な地場産業と重化学工業の発展とともに成長してきた製造業中核型の都市です。特に繊維機械(染色機械)においては、日本で最初に欧州より輸入して研究、改良したことで、斯業生産の発祥地といわれています。第一次世界大戦の勃発で織物加工機械の輸入が困難であることが背景にあり、国内生産に転換することに伴い、本市で製作が活発となり、その後の技術向上と相まって、1923年ごろから輸入に取って代わるようになりました。

さまざまな工業が発展する中で、時代の流れにより一部は衰退

機械金属工業作業場の風景画像

先に述べた繊維機械をはじめ、メリヤス機械、捺染彫刻機械、製材機械、化学機械など、本市ではさまざまなジャンルの一般産業機械工業、時代とともに発展し、一部は衰退しました。ミシン製造業は終戦後も急激に潤い、その60~70%を輸出。当時の日本の機器輸出額において第2位を占めていたこともありました。

本市の機械金属工業は一部の大企業と、高い技術力を持った中小企業により支えられてきました。今後、業界のさらなる発展のためには、本市の経済への波及効果や影響力の大きい、新たな中核的企業の出現が必要とされています。

タイトル

和歌山市のものづくり物語 その他の物語

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