歴史・背景をみる

 

ページ番号1018654  更新日 平成30年3月13日 印刷 

紀州藩の足袋生産の奨励で、縫製業が盛んな地に

縫製を行う様子の写真

徳川時代の末期、紀州の産業を盛んにしようと、紀州藩が足袋の生産を奨励したという文献が残されています。小禄軽輩の士分、市井子女の内職として生産され、紋羽足袋、孫六足袋などを諸国に移出。明治維新後も生産が盛んになるにつれて、日露戦争前後から機械化され、手工業家内工場の域を脱して生産額が激増しました。生産地も和歌山市を中心に、旧海草郡、那賀郡、有田郡、日高郡に及び、同時に販路も拡張され、大阪、京都、神戸、名古屋から中国、九州方面に移出されました。

綿ネル捺染工場の発展に伴い、縫製業も地場産業に発展

縫製された衣料品の写真

大正時代には、地場産業の綿ネルや、メリヤスを材料に動力ミシンを使った縫製業が形態を整い始め、戦後は地元生産のネル記事を素材とした寝間着の生産高が急激に伸び、全国的に有名になりました。昭和30~40年代の高度成長の過程では、婦人、紳士、子ども服の外出着や肌着の生産も始まり、廉単価の量産一般品においては全国的な重要シェアを占めるほどに。現在では産地振興法に基づく業種指定を受けて、ファッション性の高い高品質製品の創出とともに、イメージアップにも努めています。

タイトル

和歌山市のものづくり物語 その他の物語

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