歴史・背景をみる

 

ページ番号1018684  更新日 平成30年3月13日 印刷 

内側沿いの地域で発展していった製造業

製材される前の木材の写真

明治20年代初期に、紀南エリアの新宮に機械製材が導入されて以来、紀伊半島の豊富な森林資源と運材に便利な河川を有していたことから、和歌山、有田、御坊、日置、古座川、新宮などで、製材業は発展していきました。

和歌山市の製材業は、北洋材や米材が入荷するようになった1919年ごろから本格的になります。1945年7月の大空襲により、市内のほとんどの製材工場が焼失しましたが、戦争直後のこの時代は、素材不足と戦後の復興用材需要により素材価格の値上がりが激しく、木材業者は利潤を上げた時期でもありました。

木材貯蓄場の必要から木材港整備施設が完成

木々が立ち並んでいる写真

戦後は戦災復興の資材供給のための乱伐がたたり、国産材が枯渇。その結果、外材が輸入されるようになり、和歌山県は和歌山市水軒浜を埋め立て、水面貯木場や水面整理場、木材工業団地等を含む木材港を1967年に完成しました。

単一大量生産工場が大半を占める時期もありましたが、多品種少量生産へ移行した工場もあり、昭和40年代後半からは小規模工場の減少が顕著に見られました。現在は各社の企業努力もあり、事業者数は横ばいで推移しています。

タイトル

和歌山市のものづくり物語 その他の物語

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