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ページ番号1018687  更新日 平成30年3月13日 印刷 

化学工業のパイオニア、由良浅次郎

化学工場の写真

1914年に第一次世界大戦が勃発し、ドイツから合成染料の輸入が途絶え、日本の染料業界は存亡の危機に陥りました。捺染加工業「由良浅染工所」を自営していた由良浅次郎は、試行錯誤の末、国内初のアニリンの製品化に成功。続いて、石炭酸(フェノール)の製造も実現して、日本の化学工業界を主導し、和歌山の染料工業を急速に発展させました。本市の化学工業業界には現在もそれぞれ特徴を持った製品を輩出する企業が数多くあり、由良のパイオニア精神を今も受け継いでいます。

時代に即した新しい生産品に着手して進化

化学工場の画像

1950年に和歌山を中心にした染料メーカーが「和歌山染料工業組合」を発足し、染料や顔料およびこの中間体のほかにも、時代に即した新しい生産品に着手。建築用接着剤、通信機器の基盤素材となる高性能性高分子素材、宇宙関連機材や航空機使用の高機能耐熱樹脂素材の研究開発や生産に力を注ぎ、1993年に組合名を「和歌山化成品工業協同組合」に変更。多数の特許を持つ製品の生産を行うなど、各企業でさらなる発展を遂げています。

タイトル

和歌山市のものづくり物語 その他の物語

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