歴史・背景をみる

 

ページ番号1018693  更新日 平成30年3月13日 印刷 

徳川時代の防寒着としての紋羽織が始まり

染色加工を行う様子の写真

和歌山の染色の始まりは紀州ネルといわれ、徳川時代の中期に防寒着として紋羽織が登場。これに松の葉を束ねて毛をかき出したものが紀州藩の兵服として作られました。

産地になったきっかけは、1886年に全国に先駆けて作られた染色教習所でした。1900年には、紀州ネルの捺染分野で染色会社が誕生し、明治から大正にかけて、綿ネルからモスリン、更紗、ポプリンへと対象を拡大。第一時世界大戦時に輸出産業の基盤が固まり、和歌山の代表地場産業に発展しました。

「多品種、小ロット、短納期」や新しい捺染方法で生き抜く

染色加工が行われてきたことを表す画像

第二次正解大戦後、ローラー捺染機による綿プリント輸出が飛躍的に広がりました。昭和50年代後半から平成に入って、フラットスクリーンの捺染機によるプリントが主になり、高品質な寝装、婦人服地、インテリア資材用品と、多種多様な製品が加工されるようになりました。

近年は厳しい市場競争の打開策として、多品種、小ロット、短納期対応を掲げ、インクジェット捺染の導入などの産業戦略を試みています。

タイトル

和歌山市のものづくり物語 その他の物語

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