歴史・背景をみる

 

ページ番号1018704  更新日 平成30年3月13日 印刷 

製革・製靴の技術を日本でいち早く取り入れた和歌山藩

洋式軍隊を作るためにドイツから招いたカール・ピッピン(写真中央)と和歌山藩士の画像

和歌山市の皮革産業の源流は、古くは慶長年間(1596年~1614年)にまで遡るといわれています。近代皮革が誕生したきっかけは、明治2年(1869年)の軍制改革の際、和歌山藩が皮革製の兵用具や軍靴の自給を目指したことです。翌年には製造技術を習得するための「和歌山商会所西洋沓仕立て並鞣革製法伝習所」を開き、1871年に陸奥宗光がドイツから革細工士のウァルテーと靴製工のブラッドミドルを招いて、多くの優秀な皮革職人と軍用品を創出しました。

国内皮革三大産地に名を連ねる

終戦後、復興に向けて革素材の製造に励むタンナーたちの画像

廃藩置県で藩兵が解体された後、伝習所は民間会社として独立。その後、紀州靴の評判は高まり、日清・日露戦争、第一次世界大戦と続く中で比較の需要は増大し、大正時代後期には民需を基盤とした生産高の上昇も見られるようになりました。

1945年7月の戦災により、皮革工場の多くが焼失。しかし、終戦後は新しい染色方法を開発するなど技術革新に務め、1949年に和歌山県製革事業協同組合を設立し、国内三大産地に名を連ねるほどの発展を成し遂げました。

タイトル

和歌山市のものづくり物語 その他の物語

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