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ページ番号1018723  更新日 平成30年3月13日 印刷 

「南紀徳川史」に記録が残る長持ちが和家具の始まり

工具の写真

徳川紀州家の歴史をつづった「南紀徳川史」によると、弘化3年(1846年)に和歌山城が落雷で炎上し、嘉永3年(1850年)に天守閣が再建され、同時に長持ちなどの道具も製作され直したという記述があります。このことから、当時和歌山城下には長持ちなどの箱物を製作する技術があったことがうかがえます。

箪笥造りに関しては、粉河町(現、紀の川市)から発見された江戸末期の古文書から、武家以外の階級社会でも箪笥はすでに婚礼調度品であったことが見受けられます。また、江戸時代に製造されたと推定される、他産地に見られない特有の型(仮称、和歌山県型)も数点発見されています。

大阪市場へ開拓が進んだ明治時代に、生産が急速に発展

紀州箪笥の写真

すでに江戸時代末期には、製造技術が確立し、生産が行われていたと思われる、和歌山市の箪笥造り。明治時代には、大阪圏の需要を満たす地回り産地として発展を続けると同時に、地元需要も増加していきました。特に、1901年に南海鉄道が開通し、大阪への貨物輸送が可能となったこともあり、急速に発展。その後、第二次世界大戦後の混乱期を脱した1953年から5、6年後は、ほとんどの工場が桐箪笥の製造に移行していきました。

タイトル

和歌山市のものづくり物語 その他の物語

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