(2) 玉津島神社(万葉集巻6-917)

 

ページ番号1067022  更新日 令和8年3月26日 印刷 

歌碑2

【歌碑の内容】

 安見知之
 和期大王之
 常宮等
 仕奉流
 左日鹿野由
 背匕尓所見
 奥嶋
 清波瀲尓
 風吹者
 白波左和伎
 潮干者
 玉藻苅管
 神代従
 然曽尊吉
 玉津嶋夜麻

 

【訓み下し文】

 やすみしし
 わご大君(おほきみ)の
 常宮(とこみや)と
 仕(つか)へ奉(まつ)れる
 雑賀野(さひかの)ゆ
 そがひに見ゆる
 沖(おき)つ島
 清き渚(なぎさ)に
 風吹けば
 白波(しらなみ)騒(さわ)き
 潮(しお)干(ふ)れば
 玉藻(たまも)刈(か)りつつ
 神代(かみよ)より
 しかぞ尊(たふと)き
 玉津島山(たまつしまやま)

 

【解説】

 この歌は万葉集の巻六に載る歌(九一七番歌)です。万葉集には、長歌(ちょうか)と反歌(はんか)で構成されている歌があります。長歌は5音7音の語句を中心に、長く続く歌を言います。反歌は5・7・5・7・7音の短歌です。この歌碑の歌が長歌、左の歌碑の二首が反歌です。
 神亀元年(724)に聖武天皇は紀伊国(きのくに)(和歌山県)玉津島を訪れ、十四日間ほど滞在しました。天皇にお伴した山部赤人(やまべのあかひと)が、公式儀礼の場で詠んだのがこの歌です。天皇を誉め讃え、この和歌の浦・玉津島の地を讃えます。離宮の置かれた雑賀野から眺められる点々と連なり伸びる島々、潮干・潮満ちの変化に富んだ風景、海藻を刈る人々の動き等々を活写します。そして最後に「神代の昔からこのように尊い玉津島山であることよ」と歌い収めています。
 並み居る官人(役人)は、赤人が朗々と詠じるこの歌に聞き惚れ、天皇の気高さとこの地の尊さを嚙みしめたのでした。

 歌碑の文字は、和歌山の万葉故地を愛し、その保全に尽力した犬養孝氏の揮毫です。

 本ページは、近畿大学名誉教授村瀬憲夫氏にご協力いただき、作成しています。

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